8月6日

今日は8月6日
広島では67年前に原爆が投下された日。

核なき世界を 被爆67年式典

私は東北で育ち、今年移住先探しの旅に来るまでは「ヒロシマ」を訪れたことは一度もありませんでした。
それが、どういうわけか、縁あって、今その広島県に住むことになりました。

「フクシマ」と「ヒロシマ」
震災後は、そのふたつが「被爆地」としてリンクして考えられる場面が増えたように思います。
福島・浪江町長が式典参列

広島の平和記念公園へは、広島に来て何よりも最初に行きたいと思っていたところでした。
広島に到着した次の日すぐに公園に向かい、原爆ドームが見える石碑の前で静かに手を合わせました。
「過ちは繰り返しませんから」と石碑に刻まれた言葉が苦しく心の中に沈んできました。

福島では(恐らく他の県でも…)8月6日の朝8時15分にブザーが鳴ることはなかったかと思います。
それでも、その悲惨な出来事は、私の中でもとても大きな意味を持っていました。
子供の頃、授業で見た「裸足のゲン」は恐くて仕方ありませんでした。そして強烈な印象を残しました。
「こんな悲惨な戦争は絶対にしちゃいけないんだ」それは、子供ときも、今でもずっと変わらず心にあることです。

でも、どうしてそんな戦争が起こるのか、誰が何のために起こすのか、「戦争は恐い」という感情論のその先に本当に理解しなければならないことが、世界にはたくさんあったのだということが、最近やっとわかってきました。
それをひとつひとつ理解していくことが大人になった私の責任でもあるのだと思います。

今日、8時15分鳴り響くブザーと共に静かに黙とうを捧げました。
もうこれ以上、本当に過ちを繰り返すことがないように…
世界中の人が、戦争のない社会で、どちらかの国が飢えることなく、平等に、安心して平和に暮らせるような世界になりますように。
それはほんとに一つの小さな小さな想いでしかないのかもしれないけれど、強く確かな祈りです。

きっと、「フクシマ」では今日も、何事もなかったかのように、みんなが平和に当たり前の1日を迎えているのでしょう。
それを本当に喜んでいいのかどうか、私にはまだわかりません。

そして静かな戦争は今日も続いているのかもしれません。

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コメント

俊樹さん

私は、政治批判とかは、あまりするつもりはないんですが…、どうとでも捉えることができるどっちつかずで巧みな文章表現は、人としての責任を完全に逃れようとしているようにも見えました。(後から言い訳できる逃げ道を残して…。)
それはもう、政治云々以前の問題のような気もするけれど…。
あまり見習いたいとは思えないことは確かですね(^^;)

2012/08/08 (Wed) 21:11 | Hiropan #- | URL | 編集
まいまいさん

まいまいさん一人が抱える問題ではありません。
多くの大人達が、みんなで真剣に考えなければいけない問題です。
自分を責めても意味がないことです。
自分にできることの小ささを実感するよりも、どんな小さなことでも「できる」ことの実感を強く持つことが大切なのではないでしょうか。
まいまいさんひとりの声や祈りや意志は、とても大切な社会の要素です。
それを大切に大切に育ててください。
それがとても大切なことで、一人ひとりがやらなければならないことなのではないかなと、そんな風に思っています。

2012/08/08 (Wed) 21:03 | Hiropan #- | URL | 編集

わたしも広島の原爆について取り上げてみましたが、先日の野田総理のスピーチを聞いて、白けてしまいました。
この人は何も理解していないのではないだろうかと・・・。

2012/08/07 (Tue) 19:28 | 俊樹 #- | URL | 編集

最後の方の文章が、とても、とても、重かったです。

事故の直後、まず、福島のこどもたちを守ってあげたかった・・・。いろいろなことを考え、思い、努力しようと思ったけれど、実際に自分のできることの小ささを、実感しつづけた毎日でした。

守りきれなかったたくさんの子どもたち。置いてきた子どもたち・・・・。

いろいろな思いが交錯して、せめて、せめて、これ以上の被害が広がってほしくないと、西日本の子どもたちの命は、守ってあげたかった・・・・。


わたしができるのは、祈ることくらいかもしれないけれど、その祈りもいつかは届くと信じて、今はただ、毎日を懸命に、丁寧に過ごしていきたいと思っています。

静かな戦いは、今なお継続中ですねi-275

2012/08/07 (Tue) 02:42 | まいまい #ygvc0BnM | URL | 編集

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