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こどもの国

2012年の12月に書いた詩(のようなもの)です。
今でも大切にしている私の原点みたいな気づき。
ずっと得体の知れない不安や、自信のなさ、悲しみが影のように自分の心について離れなかった頃。
その原因をずーっと探っていて、みかん畑の真ん中で、みかんもぎしていた時にふっと、感じたことを書き連ねました。
このことを通じて、それまで目の前を覆っていた霧がゆっくりと晴れていったように感じました。
当時のブログに上げた詩と文章を再掲載します。


チロルとココロのコピー

感謝を込めて。




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「こどもの国」



ずっとないがしろにし続けてきたものがある。
私のとても子供らしい要求。私らしい自然なあり方。

いちばん認められなくてかわいそうなもの。

大人になることを強いられた、とても純粋で優しい心。

許されることのなかった「ありのまま」

大人達は残酷にも土足で子供たちの聖域である純粋性の中に踏み入ってきて、それを「正義」の剣で切り壊していく。

ああ、なんという悲惨。そして破壊。そして神の国の崩壊。
そのとき子供は帰る家を失い、ひたすら社会(大人)の奴隷におかれる。

子供たちは規範、規律、社会的常識、道徳といった鎖に繋がれて、徐々に「大人の国」へと連れて行かれる。
そうして神の国は遠のいた。

そして多くの大人達が抱える苦しみ。
漠然とした不満。無力感。そして深刻な自分自身への不信感。

彼らは生きていながら、生きていない。
満足に与えられてこなかった無条件の「愛」。
埋まらない飢えと乾きをなんとか埋め合わせるために、バランスを欠いた心が今の社会をつくる。

そして、いったいいつから人間は真の自由を恐れるようになってしまったのだろう?

****************************************

私はずっと不安でした。

「立派な人間になりたい」

「もっと人から愛される人になりたい!」

それは私が育った中で、いつのまにか深く身についてしまった契約に似た願望であり、要求でした。

「立派な人」ほど、模範や規律を重んじます。
そして大人達も私にそうなることを望みました。

「人間として正しい生き方を」

大人達はいつも「立派」でしたし、いつも「かく在るべき」理想に燃えているようでした。

私はずっと不安でした。
そうならなければ、愛される資格がないと、彼らはいつも私に、無言で、そう言っているようでした。

そして私は知っていました。
本当は、彼ら自身が一番苦しんでいたのだということを。

私はいつの間にか自分を見失いました。
「かくあるべき」大人達の理想の檻に、気が付けば自分自身も捉われていたのです。
そしてその檻の中で、どうすれば「幸せ」になれるのかずっともがき苦しんでいました。

大人達は一見「幸せそう」に見えました。
「自分は社会に対して正しいことを行っている。」
そういった自信に満ち溢れているようでした。

だけど私は知っていました。
ある瞬間急に夜が来て、彼らは自ら、見えない苦しみの中に取り込まれていたことを。

そして私は確信しました。
彼らの「理想」が返って彼らを不幸にしているのだと。


今、私は彼らから遠く離れて、一人静かな海を見つめています。

空からいくすじもの光の線が降りてきて、海の表をきらきらと輝かせていました。
空は高く澄んで、雲が流れ、風が吹き渡ってゆきました。
木々は豊かに実り、山々も誇らしく胸を張っているようでした。

全てのものが、理由なき理由の中で、燦然とした輝きを放っていました。

そして唯一人間だけが、惨めにも、「自らが存在する理由」を探しもがいているようでした。

そして、私はその瞬間、自分自身を苦しめ続けてきた「不安」の根本的な原因は、「それ」だったのだと気が付きました。

そのとき、両の耳を塞いでいた全ての思考は止まり、この果てしないものと自分とが一つに繋がったように感じました。

そして遥かなる神々の唄は、世界中に響き渡っていたのです…!

それは音なき音であり、完全なる調和であり、壮大なるシンフォニーを奏でているようでした。

そして周りを見渡すと、全てのものがその唄に声をあわせて歌っているのです!
たった一音の狂いもなく。理由なき理由の中で、燦然と歌っているのです!

その声を聴いたとき、人間である私もそれに加わりたいと心の底から願いました。
自然は、すぐに私を仲間に入れてくれたようでした。
すると音なき音はより大きく高く、豊かに響き渡っていきました。
自然は、人間が一緒にその唄を歌うことを心から歓迎してくれているようでした。

「いちばん小さい音が、いちばん大きく聞こえる」
これは舞踏家ヤン・リーピンの言葉です。

人間は「思考」や「幻想」の檻の中に、自らを閉じ込め、世界を遮断します。
そしてわけも分からず、もがき苦しみます。

その苦しみを造っているのが、自分自身であることにも気が付かずに。

思考の檻の中では「願望」そして「欲望」が一番大きな音を占めます。
鳴り止まぬ騒音の中で、音なき音はいつも聞き取られる事なく静かに流れ続けているのです。

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コメント

Re: タイトルなし

くるみさん

コメント、ありがとう。
2年前に書いたものだけど、今一度、自分の中でも見失っていた箇所がありました。
人はすぐに忘れてしまうんだよね。

自分が子供だった頃のこと。
子供の頃、どんな風に感じていたか。
何を思っていたのか。
親に本当はどう接して欲しいと願っていたのかってこと。

みんなが純粋な子どもの心を否定されず、歪められず、本来備わっているすばらしいものを、見失わずにそれを伸ばし、大人になっていけたなら、社会はきっと、ものすごく変わるのだろう思います。

切り取られた頭では、見える世界も狭く限られてしまう。
意味がわからない人もいると思う。

共感してくれて、ありがとう。

2015/01/16 (Fri) 12:28 | hiropan #- | URL | 編集

娘の子供を身近にみているので、
この記事、そして小さかったひろこちゃんのこころが痛いほど伝わってきました。
問題を抱えている大人は、子供だった頃、必ずこのこころを抱えていたはず。
そのことをすっかりわすれてしまって、
自分がされたことを当たり前に"しつけ"という伝家の宝刀を振りかざす。

今一度大切なことを教えてくれてありがとう、ひろこちゃん。

2015/01/16 (Fri) 10:08 | くるみ #- | URL | 編集

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