あれから一年…

本当は、この話、少し億劫でした。
どっかでもう、吹っ切りたいというか…
「切り替えて次に行きたい」そういう自分がいます。
でも、一年経ったとはいえ、福島の現状は何も変わってはいません。
放射能が消えることはなく、ただ、人々の危機感だけが薄れていっていうるようです。


1年前の今日、私は山形にいました。
山形で仕事中にあの大きな揺れ。
急いでみんなで外に飛び出しました。
ワンセグから、津波が街を襲う様子が飛び込んできました。

その日はそこで仕事もおわり、週二日だけ掛け持ちで行っていたカフェ&バーのバイト先へとそのまま向かいました。
グラスやなんかの後片付けを覚悟して行ったのですが、幸いそれらは無事でした。

自転車で店に向かう途中、停電で信号が使えない交差点でも、注意深く譲り合いながら、特に混乱することもなく、静かに、淡々と車が走っているのが印象的でした。(日本人のすばらしさですね。)

その日はスタッフ3人、店に泊まることになりました。
一度部屋の様子を見に帰りましたが、マンションの6階に借りていた私の部屋は、冷蔵庫や棚が15センチ以上動いて、棚の上に乗っていたものも、床に散乱していました。

余震も続く中、エレベーターも電気も止まっており、とてもそこで一人で過ごすことは考えられませんでした。
そこのカフェでバイトをしていて本当によかったと思います。。。
乾電池式のラジオと、止まってしまった冷蔵庫と冷蔵庫の中に残っていた食料や、防寒着をもって再び店に戻ります。

一人が電気を使わないタイプの石油ストーブを持っていたので本当に助かりました。
お陰で暖と明かりを同時に取ることができました。
ケータイのワンセグは電気を食うので極力控え、ラジオを常につけていました。
文字通り、身を寄せ合って、一晩を過ごしました。


ラジオから流れる悲惨な現場の実況中継

続く余震に、鳴り止まない地震警報音

そぼ降る雪に、野外の音は吸い込まれて、電気の消えた暗い街は、呼吸を止めたように静まりかえっていました。

たまに救急車だか、消防車のサイレンが遠くに鳴っているのが聞こえました。

大きな余震が来るたびに、私たちは外に飛び出して、

その夜はほとんど眠ることができませんでした。

その中の一人、ある先輩はご実家が宮城の海沿いにあり、幸いご家族とは連絡が取れたのですが、
次の日のお昼ごろ、電気が通じるようになってからテレビをつけると、ちょうど、ヘリコプターが上空から、彼女の実家があった辺りを撮影した様子が映し出されていました。
そこは、津波に襲われ、ただ黒い海が拡がっており、民家らしきものは何も確認できませんでした。

あの時、テレビ画面に触れ、ただただ、涙を流す彼女の後姿を、私は忘れることができません。
そのときは、かける言葉を何も見つけることができませんでした。


そして、原発事故。
ベントするとかなんだとか。燃料棒、○○ミリシーベルト、メルトダウン…。

聞きなれない単語に、頭は混乱するばかり。
必死でネットから、信頼できそうな情報をかき集めようとしました。
気が上がっているので、正しく冷静な判断は、できていなかったように感じます。
でも福島にいる両親や、友人達が心配で、とにかく一生懸命情報を集めました。
そしてそれを父にそのまま電話で伝える。
自分が噛み砕いて、よく理解するよりもまず、父にできる限りのことを伝えようとしていました。
今にして思えば「違うでしょ!」というような(イソジンを飲めとか…)情報も、流石に飲みませんでしたが、最終手段としてはありだと思っていました。

スーパーからは食料品が消え、ガソリンも手に入らず、スタンド前には連日長蛇の列が。8時間以上かけてやっと3000円分のガソリンを入れられたという話も伺いました。
燃料がもったいないので、待っている間エンジンを止めて、暖をとるために持ち込んだ炭による一酸化炭素中毒で亡くなられたお爺さんがいらしたというニュースも。

直接的に津波の被害を被らなかった土地でも、あの時は、多くの人が不安と混乱のうずに巻き込まれていたと思います。

あれから1年。
区切りという意味では、実感はありません。
福島では未だ、あの日の延長上にいるという感じがしています。

それでも、福島では、徐々に放射線への危機感は薄れていっています。
まるで何もなかったかのような日々。
以前とあまり変わらぬ、人々の暮らし。
それぞれの不安、葛藤、覚悟や諦めなんかを通り抜けて、今があるのだと思います。

放射能のこと、(危険性については特に)多くの人が話したがらなくなっています。
「考えても仕方がないこと」になっているようです。

私は冒頭「次に行きたい」と書きましたが
次に行くとは、放射能を無視して突き進む!ということではなくて、
より放射能のことを知り、理解し、適切な対策を考えていくこと。そして同じような事態が他の場所でも起こらないように、少しでも自分の生活を見直し、環境に負荷をかけない暮らし、自然と調和のとれた暮らしを学び実践していくこと、だと思っています。

今日で震災から1年。
人間の科学力、文明の、なんと脆く危ういこと。
命の、なんと儚いこと、そして美しいこと。
そのことをありありと実感させられた1年でした。
そして、福島に帰ることを決めたあの日、明日死んでも決して悔いの残らない生き方をしよう。そう心に強く思いました。家族や友人との時間を、ただこのとき身体いっぱい、心いっぱいに感じ、抱きしめています。
明日のことはわからない。来年のことはもっともっとわからない。
生きている保障はどこにもないのです。
だから、常に今を大切に。幸福に。
そんなことを、改めて、思い、自分自身に語りかけています。
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コメント

Re: タイトルなし

まだ活躍というほどのことは何もできてませんが、精一杯できることをやりたいですね。
丸儲けのぼろ儲けでございますよ~( ´ ▽ ` )ノ笑

2012/03/13 (Tue) 00:11 | hiropan #- | URL | 編集

あの時は本当に大変でしたね。今のhiropanさんの活躍を見ていると、震災も意味があったのかなと思います。
「生きてるだけで丸儲け」が本当に実感できましたね。そのことを忘れずに頑張りましょうね!!

2012/03/11 (Sun) 22:54 | ボサッペ #- | URL | 編集

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