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再生

この世界で、なんとか生きてく力が欲しくて

この世界で、なんとか自分のポジションを見出したくて

もがくように、生きているうち

人と話をすることが上手になったり

効果的なプレゼン技術を覚えたり

それなりに文章が書けるようになったり

それなりにみてくれを良くすることがうまくなったり

できるようになったことは沢山あるけど

できないようになったことが なんだったかを思い出している。



海と山に抱かれた夕暮れ時の静かなアスファルトの道を

静かに散歩していると

何も出来なくてもよい自分に出会う

何もできなくても

何も生み出すことができなくても

立派な人にはなれなくても

温かな風が吹いてくる。

「愛しています」

そう言って風が吹いてくる。


できないことがたくさんあっても

立派な人にはなれなくても

「愛しています」

自然はいつでもそういって

変わらず私を抱きしめる。

なんて幸せな世界だろう。

どうして忘れてしまったのだろう。


できないことに捕われて

できてない自分を非難して

小さな世界に自分の心を押し込めた。

何もできなくても良い自分に

何も持たなくとも愛される自分に

もう一度立ち返ろう。

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2014年大晦日

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大晦日です。

島は午前中はいいお天気でしたが、だんだん風が出てきました。雨も降ってきた。
元日もお天気が崩れるみたいですね。この分だと、神峰山からの初日の出は、見られないかな。

昨年は母の入院もあって、福島の実家に帰りましたが、今年は母も元気になったことだし(^^)
福島には帰らず、一人静かな大晦日。

年明けには、はるばる遠方から友人達が泊まりに来るので、一気に賑やかになりそうです。
今から何をつくろうか、メニューを考えて、材料を揃えて。
はじめて黒豆も煮てみました!まだできてないけど、結構順調。おいしく煮えそうです^^
料理は楽しい!遠くから来る友人たちに、何を食べてもらおうかな?ってあれこれ考えて、台所に立つのが好きです。
幸せな性格(^^ゞ

午前中の晴れてるうちに、ガス台まわりをそうじして、床も磨いて。
中掃除もはかどりました♪(大掃除というほどは掃除してないから。(^^;)

「年末、お正月は一人で「寂しくないの??」と人に言われるのですけど、あまり寂しいとかいう感じもせず。
掃除して、洗濯して、料理して、ちょこっと仕事もしつつ、いたって平常運転です(^O^)テレビがないせいか、あまり年の瀬の雰囲気にも影響されず。
そもそも、普段から割とお正月休みのような感覚なので(笑)より、普通でいられるのかもしれません。

平和だな~(笑)

今年もいろんなことがありました!!
お仕事として文章を書かせていただいたり、パネルディスカッションに参加させてもらったり、また、集落支援事業で地域の調査や聞き取りをして、ローカル新聞を発行させてもらったり。
11月にはデザインプロジェクトも始まって、なんとなく、自分の得意とする方向性や、できそうなことが見えてきた感じがします。

こんな私が、ピースとしてぴったりはまるところはどこなのだろう??

2015年にはみつかるとよいな!

今年も、よく生きられましたヽ(*´∀`)ノ生き抜いたというか。(笑)
大満足の1年でした。

普通に就職していたら、生活は安定するかもしれないけど、おそらく、自分は満足できないのだと思います。

多少(大分?笑)不安定だけど、なんかこういう、半分旅人みたいな、冒険みたいな暮らしが、案外と自分に合っているのかもしれません。
生きてるって感じがする(笑)

畑の中にただ座って、じっとして、きゃべつの葉っぱの上で、お日様の光を浴びて、まどろんでるてんとう虫や、デコボコした地面の上をものともせず、たくましく進んでいく、名前も知らない甲虫の姿を見ていると、まるで自分のようだとも思えてくる。

「神様から見たら、自分はこんな風に見えているのかもしれない。」

私自身の中にある 大きくて力強い生命力。

私は、こんな自分が頼もしいと思う。
私は、「こんな自分」で、よかったと思う。
そう思えることが、私にとって、これまでひとつひとつ経験し、乗り越えて、成長してきた証なんだと思います。

このブログも気づけば早4年目に入ります。
来年は、社会のいろいろな動きも考慮しつつ、また何か新しい試みができたらいいかなと思います。
イラストや作品ももうちょっと頑張りたい。未完成な絵本完成させたい。。。

考えることは好き。でも実行に移すのにちょっと時間がかかる(笑)

こんなのんきな私でも、「新しいこと」「新しい1年」はやってくる!

2015年はいったい何が始まるだろう?!どんなことが起こるのだろう?!

どんと来いなのであります。(`・ω・´)

皆様もどうか、よいお年をー!

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聴き取る力



ネットの中ですら、山本太郎氏へのネガティブキャンペーンは大きい。
人は、何が「真実」で、「偽物」なのか、本当はよく知っている。
その人を見ればわかる。声を聞けばわかる。
だけど、普段いろいろな「思惑」や「固定した思考」に、捕われていると、その「真実」と「非真実」を見分けることが難しくなります。
山本太郎氏ぐらい、思惑がない、「真実の人」を政治の世界に送り込むことは、ものすごいことだと思う。

(思惑がないというのは、個人的な野心(名誉欲)や私利私欲のために戦っているのではないということ。)

これまで通りの政治の世界からしたら、それはまったくの「脅威」。
メディアが彼の言葉を伝えなくても、ネット上のネガティブキャンペーンが激化しても、山本太郎氏の演説には、日に日聴衆が増えていきました。

今日はいよいよ投票日。
こないだ、東京のおばに電話して、太郎さんへの1票を託しました。
おば、といっても、祖母の妹なので、もうおばあちゃんだけど。

前回の選挙が終わったとき、ツイッターや、ブログでは、発言したり、「人に伝えること」をしていたつもりだったけど、現実の世界で(笑)面と向かって、いろんな人と「対話」して、自分の思ってること、自分が思ってる人のこと、知ってる情報を伝え、そして、相手が思ってることを聞き取ること、そういう日常の「対話」の大切さや重要性を感じました。

それは決して「対立」などではなくて。
「対話」。
決して相手を否定するのではなく、自分を“認めさせよう”とあがくのではなく。
水のように、風のように、緩やかで、穏やかなやり取りと、交換。

そういう“あり方”、習慣が、なんか、大切なんじゃないかと思うようになりました。

そういう“対話”のあり方を身に付け、実践していったら、いろんな人間関係も、ちょっと苦手だった人との会話も、気付けば、“なんてことない”ものになっていました。そして、そこに、喜びすらも、見いだせるようになりました。


ほとんどの人は、“話すこと”は得意だけど、“聞くこと”がへたくそ。


それも、“超”へたくそ。


いろんな“思惑”とか、“先入観”とか、そういうものをまずは置いといて、ただ、クリアーに相手を見て、話を聞いてみる。
だけど、なかなかできないかもしれません。
多くの人はまず、自分自身の“思惑”にすら、気づいてない場合が多いから。

人と「対話」するってことは、自分と「対話」するってことでもあると思う。
なんか、ここまで書くと、それって、ほとんど禅とか、ヨーガに近い(むしろ=イコール?)気がするけれど。
そういう気質や、習慣は、実は、多くの現代人が抱えてる悩みや苦しみの、本質的な解決に繋がっていると思います。

自分が、それを実際やってみて、ずっと続けてきたからこそ、言えるのですが、時間はかかるかもしれないけど、それが最も本質的で、確かな問題解決方法だと思います。

チャランケ!!(・∀・)


私の考え【問題の可視化】

チェルノブイリ・ハート Chernobyl Heart.ぜひ、いろんな方に見て欲しい映画です。


私たちは過去に何を学びますか?
チェルノブイリと福島は違う、チェルノブイリで起きたことは、福島では起こるとは限らない。
誰がそんなことを言い切れるでしょうか。
私は今、楽観視だけは決してしてはならないと思います。
現状を楽観視することで、大切な情報やシグナルを見過ごしてしまいかねません。
それは直接的に未来に影響を与えます。
私たちが生きる、未来に、です。

私は決して深刻になれとか、悲観しろとか言ってるのではありません。
事実を正しく知ることができれば、理解につながり、そして冷静に対処することができます。

不安は見えないから不安なのです。
問題は可視化すれば、正しい理解と対処ができます。
それによって初めて不安は消すことができる。

目を背けていたら、不安は、いつまでたってもそこに存在し続けます。
ある瞬間あなたはそれを忘れているかもしれません。
でもそれは潜在的に、そこに在り続けるでしょう。
それは本人にも気づかないレベルで非常に大きな影響力を持っています。
顕在化しているものよりも、潜在的な意識の方が、実は心身に及ぼす影響は比べ物にならないほど大きいのです。

潜在的なものを顕在化させるのが、カウンセリングの大きな役割と言えるでしょう。
たとえば、精神不安を抱える人は、多くの場合、自分でもどうして自分がそのような状態にあるのか理解ができません。(現代人の95%は、精神的に何らかの問題を抱えていると言われています。)

「どうして必要以上に子供を叱ってしまうのか。」
「どうして些細なことで夫(妻)に腹が立つのか。」
「どうして人からの評価がこんなに気になるのか。」

潜在意識の不満、悲しみ、怒り、そういったものを顕在化(可視化)し、どうしてそのように思ったのか、原因はなんだったのか、そういったことを細かく一つ一つ手繰り寄せて可視化して、より具体的、効果的な対処をしていくことではじめて、その人は本当の精神的安定を得ることができます。

原発、放射能の問題だって、同じではないでしょうか?

私達の社会にとって、「原発」はずっと「潜在的な問題」だったわけです。
潜在下で、小さな問題、トラブルが積み重なって、積もり積もって、で、ある条件下でそれが「爆発」した。

問題は一気に顕在化しました。

そして、私たちは、そこに、ありとあらゆる、より根深い、本質的な問題が隠れていたことに気がつきました。
それが見えなかったとき、原発はどうしたって無くすことができなかった。

今、やっとそういう潜在的な問題が明るみに出てきて、多くの人が「気づき」はじめた。
そして、より効果的な対策、アプローチで、あらゆる方面から働きかける人々が大勢でてきたわけです。

わたしは、原発はいつかきっとなくなると信じています。
そういう選択を取らざるを得なくなる日がきっとくるだろうと。

巷にはあらゆる情報があふれ、同じ国の人々の間でも、大きな認識の溝が生まれています。
それは、今回の選挙にも大きく現れていたなと感じます。
この、情報・認識の格差は非常に問題だと思います。
その溝をどう埋めていくか、互いの認識の距離をどう縮めていくかが課題だと思っています。

あらゆる情報の中から、何を選び取るのか、それは個人の自由です。
関心を持たないことも自由です。
しかし、そこに責任は必ずあります。
自分が何を考え、何を選択し、どういった言動をとるか。
それが、その人の人生や未来をつくっていくということです。
周りの人にも少なからずの影響を与えます。

私は人に意見を押し付けるつもりは一切ありません。
共感してくれる人が共感してくれたらいいし、合わない人は自然と離れていくでしょう。
それで構わないと思います。

私は、ただ自分が信じたこと、本当に正しいと思ったことに向き合って真剣に生きてきたいだけです。
今、環境のために何ができるか。
今、福島に何ができるか。
どうしたら社会がもっと良くなっていくのか。

そういうことを真剣に考えて、勉強して、自分が正しいと思ったこと、そして自分ができることを出来る範囲で淡々と実践しているにすぎません。
それの様子の一部をここに書いているのです。

それが私の考えであり、生き方です。

その中で、私にもしも何かの過ちがあったなら、その時は必ず自分に返ってくるでしょう。
その時、わたしはそれを自らの責任として、引き受ける覚悟は十分あります。

だれもが同じようにするべきだなんて言いません。
その人が生きたいように生きればいいんです。

ただ、その人が自分について正しい自覚を持ち、精神的に安定し、幸せならそれでいいと思います。


今年は、保養のプログラムが、島でできないかなと考えています。
なかなか環境、条件が揃わなければ難しい部分はありますが…。
先は急がず、果報は寝て待つのが信条ですので、もうしばらく様子を見たいと思います(笑)
協力してくれる方募集中です






私として2012年

今年、2012年も残すところあと2日となりました。
やー、すごい1年だった…!

ふらり一人移住先探しの旅に出て、あれよあれよと言う間に、人に出会い、家に出会い、移り住んで、何もかもが初めてで、試行錯誤しながら一日一日暮らして、生きて、不安や、落ち込むこともあったけど、島の綺麗な景色や、自然、いろーんな人に元気をもらい、ものすごーく充実した幸せな1年でしたー。(涙)

みんなアリガトーーーー!ヽ(;▽;)ノ

思い切って行動してよかったー。もう、ほんとよかったーー。
この1年振り返って、不満全くありません。100点満点中5000点あげちゃいたいぐらいです。自民党は勝ったけどね!!(笑)

いろんなことはあったけど、それでもすごくいい1年でしたー。たとえ明日死んでもぜんぜん悔い残らないわー(*´▽`*)笑


お金はないしー。
彼氏もいないしー。
家族とも遠くはなれてしまったけれどー。

なーんにも不満が思い浮かびません。(やせがまんじゃないよ。笑)

「シアワセ」っていうのは、外側の条件が決めるんじゃないんだねーってことが実体験から断言できます。

シアワセになるのも、ならないのも、結局自分次第。
その状況をどう受け取るか。
それを、どうクリアしてくか。

欲しいものばかりを追っていたらキリがありません。
ないものをないと嘆くより、既にあるもの、持っているものの豊かさに気が付くべきです。

本当の意味で人が「成長すること」っていうのは、何かを得とくしてくことではないと思っています。
新しいスキルを身につける、才能を得る、人や社会からの評価を得る、そういうことを「大人になる」とか「成長する」ことと勘違いしている人が多いように感じます。

本当に成長していくこと(大人になる)ってことは、逆に、そういうものがどんどん「いらなくなる」ことなんじゃないかと思っています。
本当に精神的に成熟した人は、そういうものは必要としなくなるんじゃないか。
何かそういったものを得たいと、求めている心が自分の中にあるなら、どうしてそんなものが必要なのか、よくよくその根をたぐっていく作業をしてみたらいいと思います。(自己カウンセリングしてみる)

そうしていくと、必ずといっていいほどインナーチャイルドだったり、自分自身の未成熟な感情、欲求に行き当たるはずです。

大学のとき、フランス人のゼミの先生が、「日本は子供の文化だ」と言っていたのが印象に残っています。古くからある伝統文化のことではなく、現代日本のカルチャー、社会を指しているのだと思います。

本当に、その通りだなと思います。
多くの大人が精神的に子供(不安)なんです。それが、表れている社会。
多くの人が社会的立場や、人の目、評価というのを、気にしすぎています。

模範解答ばかり評価されて育ったので、それ以外の答を出すことが恐いんです。
そもそもそんな教育自体がオカシイと思うけど。

だから、多くの人はまわりの様子を見て、大多数が選ぶものを回答として選択します。
その中に入っていれば、人から非難されたり、責められたりしないから、とりあえず安心なのでしょう。


社会的拘束。一般常識とか、体裁とか、そんなものに縛られてたら、ぜんぜん自分を生きられない。
本当に大切なことすら見失ってしまいます。(放射能は危険だと思ってるのにつまらないことに捉われて逃げられないパターンとか…)

人は規格品じゃないから、さまざまなスタイルがあっていいものなのに、どうして多くの人が、そんなカチッとした社会的規格の中に、むりむり収まろうとしてるのか、まったく理解できません。
それで病気になる人までいるのに。

「そうならなければ」という意識が、日本人は特に強いせいもあるのかもしれません。

「父親として」「母親として」「教師として」「社会人として」「男として」「女として」…etc

常識を知らないことが恥ずかしいことだという人もいます。そんなことも知らないのかって。
常識を生きない人を非難する人もいます。アイツは変わってるって。

でも常識や一般論なんて、国や時代が変わればあっという間に非常識です。

そんな不確かなものに翻弄されるぐらいなら、自分の中の真実に従って行動し、生きた方が、よほど人生は豊かなものになる。私はそう思っているし、そんな風に生きています。

私は、「何かとして」ではなく、ただシンプルに「私として」毎日を生きていたら、それが私の「シアワセ」です。
2012年は本当に「私として」生きることができたので、これだけ充実感を得ることができたんだなぁと思います。

方向性もきちんと定まっておらず、なかなかに気まぐれなブログでしたが、読んでくださった方々には心から、感謝いたします(*^^*)
来年は、読者の方の実生活にも何かお役に立てるような情報も充実できたらいいなぁと思っています。(できるかなぁ。笑)

ここまでお付き合いくださりどうもありがとうございました!

お正月は島で過ごす予定です♪
皆様もどうぞ良いお年をお迎えくださいませ♪

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